2025年は日本の終戦から80年を迎える節目の年にあたる。この間に戦争体験者はきわめて少数となり、関係者が遺した記録や遺品・遺物の散逸や、関係した遺構・遺跡等が消滅しかねないことが危惧されている。「戦争関連資料」には、行政文書をはじめ、個人の体験を記録した日記や手紙のほか、写真・映像・絵画・記念碑・慰霊碑等の多岐にわたるアーカイブズがあり、「語り部」による「証言記録」オーラル・ヒストリーも含まれるが、現状ではそれらの収集・保存・公開が、関係機関において整備されているとはいえない状況にある。
一方で近年は、旧日本軍の軍事施設等が戦争遺跡として注目され、全国各地で文化財に指定する動きや、自治体が都市空襲についての調査委員会を立ち上げ、市民を中心とした空襲の調査研究活動から資料館建設に至ったケースも見られるなど、戦争の記憶を風化させないための新たな動きも始まっている。
「戦争関連資料」や近代以降の戦争遺跡は、すべての市民が共有すべき「歴史的文化遺産」であり、これまでも平和博物館や戦争資料館等で保存・公開されてきたが、今まさに保存・利用体制を拡充していくことが喫緊の課題である。
そこで、30回目となる史料保存利用問題シンポジウムでは、「戦争関連資料」を歴史的文化遺産としてどのように残すのかについて考えていきたい。
旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会では、旧真田山陸軍墓地に関係する話を専門家から聞いて、正しい知識を得る陸軍墓地講座を行っています。第46回陸軍墓地講座では、「-耐震強化工事の完成を前にして-大阪旧真田山陸軍墓地・納骨堂の史跡、文化財へ-戦争と軍隊、そして兵士の死を考える-」と題した講座を行います。
大阪歴史学会では、実際に文化財を訪ね、その最新の研究成果にふれるため、市民参加型の催し「現地見学検討会」を毎年開催しています。今回は、近代の兵庫津地域を取り上げます。近世の物流拠点として隆盛を極めた兵庫津は、近代には港湾機能とともに生産機能も加えるようになります。近代初期に兵庫地域が果たした役割や、兵庫と神戸との関係性から浮かび上がる日本近代の都市像について考えます。
大阪歴史学会では、実際に文化財を訪ね、その最新の研究成果にふれるため、市民参加型の催し「現地見学検討会」を毎年開催しています。今回は、大阪狭山市に所在する狭山池を取り上げます。古代史上、最も著名な灌漑施設と言っても過言ではない狭山池は、その後も南大阪の主要な水源として機能し、それは現代にまで受け継がれています。今回は改めて狭山池を巡検して理解を深めるとともに、古代社会の中で灌漑・水利がどのような制度のもとに運用されたか、地域社会とどのような関わりをもったかを検討します。
塼列建物とは、建物の周囲に塼を立てて囲い基礎とする、中世から近世初頭にみられる建築形式である。堺や兵庫津のような都市遺跡で多くみられるほか、城郭址での検出例も増加している。蔵としての機能が有力視される一方で、その機能は多様であったともされる。主として近畿地方で普及したが、その分布は限定的である。
この特殊な建築形式が伝播する背景に、都市間あるいは戦国武将間の人的、物的、さらには情報ネットワークの存在が指摘されている点で興味深い対象であると言えよう。今回の研究集会では、近畿各地の塼列建物の比較・検討を通して、塼列建物が近畿地方に拡散する背景について、議論をおこないたい。